広島・宮島へ家族で1泊旅行——家族旅行の形は、「子どもを連れて行ってあげる旅」から「一緒に体験する旅」へ

宮島の大鳥居 家族
海に立つ大鳥居

〜平和記念公園と厳島神社。過去・歴史の先に今がある、を家族で確かめた2日間〜


この記事は「家族」カテゴリーのスパイス記事です。子どもが成長してからの家族旅行について、同じ年代の方に向けて書いています。


この3連休、妻と下の娘との3人で、広島・宮島に1泊で行ってきた。上の娘は予定が合わず、今回は3人での旅行となったが、その内容を振り返りたい。

行ってみて改めて感じたのは、訪れた場所もさることながら、家族旅行そのものの意味が、徐々に変わっているということだった。

そしてそれは、このブログの「マインド・生き方」カテゴリーで以前書いたことの再認識、という感覚でもあった。


「守る存在」から「一緒に楽しむ存在」へ——その続き

51歳の誕生日に1年を振り返った記事で、家族についてこう書いた。

守る存在から、一緒に楽しむ存在になった

年末年始のロサンゼルス家族旅行で、20歳を超えた長女とワインで乾杯したときに感じたことだった。今回の旅で再認識したのもやはり同じ感覚だった。

行き先は、話しているうちに決まった

今回、広島にしたきっかけは、どこに行こうかと家族で話していたときに、娘から「平和記念公園と宮島を自分の目で見たい」という話が出た。それなら家族で一緒に体験しよう、ということになった。

私自身は小学校の修学旅行で行ったことがあったが、家族ともう一度訪れたいと思った。

「その場所らしいものを食べる」を家族で決めた

旅のコンセプトは、その場所らしい場所に行き、その場所らしいものを食べる。広島なら何を食べるか、を家族で話し合って、「お好み焼き」と「牡蠣」の2つに決めた。

3連休で混むことを考慮し、店は事前に予約しておいた。結果、どちらもすんなり入れた。

ちなみに、やりたいことを家族で決めたあと、交通や宿、店の手配の段階ではAI(私の場合、ClaudeがメインでChatGPTでセカンドオピニオンをもらうスタンス)をフル活用している。候補を出す、比べる、段取りを組む——この部分が速くなったおかげで、旅行の準備は以前より格段にラクになり、やりたいことに集中できるようになった(このあたりは旅行だけではなく生活のいたるところでAIと共存する形になってきているので、「AI活用」は別記事でも今後取り上げたい)。

決めるのは家族。調べて整えるのはAI。この分担がはまってきた感じがある。

家族旅行の計画の立て方が変わった

子どもが小さかった頃の旅行は、まず「子どもが楽しめる」ことをメインに考え・計画していた。

子どもが興味のありそうな場所に連れていき、喜びそうなものを食べさせてあげる。計画の主語は主に子どもで、親としてそれを用意するという計画の立て方だった。

娘が20歳前後になった今、それが変わった。

「共に体験し、楽しみ、感じる」時間になっている。旅行を計画するときも、「子どもが喜ぶか」ではなく、「家族で何を見たいか、どんな体験をしてみたいか、何を食べたいか」から考えるようになっている。

会話も変わった。子どもに対して話すのではなく、同じものを見て、同じものを食べて、その感想を言い合う。共に経験を共有し、語り合う関係になっているのだと思う。そして、同じものを体験する時間を過ごすこと、旅行にいった後も思い出をいつまでも振り返り合えること、次の旅行の計画を一緒に相談し合えること、そういった時間を持てることが家族旅行の醍醐味であり、大切な時間の過ごし方だと感じている。

JR宮島口駅の駅名標
宮島口の駅名標。しゃもじの形をしている

平和記念公園と原爆資料館——実物を自分の目で見る

広島では、平和記念公園と原爆資料館に行った。

実物を、自分たちの目で見る。 そのこと自体に意味がある、と思った。

当時の写真。残された持ち物。実際に目にすることで感じることがある。歴史の教科書で知っていることと、その場に立って見ることは、別のことだと実感した。

原爆ドーム
原爆ドーム

40年ぶりだった

実は私がここを訪れるのは、小学校の修学旅行以来、およそ40年ぶりだった。

その時間を超えて40年前に見たものを、自分が覚えていた。細かいことは忘れていても、あの展示を見たときの感覚は残っていた。それだけ強く刻まれていたということだし、実際に訪れ、目にすることの力だと思う。

今回、家族と見たものも、同じように心に残り続けるだろう。

過去の先に、今の自分たちがある。そのことを家族で確かめる時間になった。


1日目は、広島のお好み焼き

初日の夜は、広島でお好み焼きを食べた。

鉄板の前に座って、焼き上がるのを待つ。この待っている時間も含めて、「その場所らしいものを食べる」という体験だった。

鉄板の上のお好み焼き
広島のお好み焼き

宮島——時間を超えてきたものの力

翌日は宮島へ渡った。

厳島神社は、平安時代に平清盛が今の形に整えたと伝わる場所。海の上に建つ社殿を前にすると、何とも言えないたたずまいがある。

うまく言葉にできないのだが、歴史や時間を超えてきたものが持つ力のようなものを感じた。神聖な場所、と理屈ではなく体で感じる感覚があった。

現地ガイドは、申し込んだほうがいい

宮島では、その場でガイドを申し込んだ。約1時間30分で、一人500円(厳島神社の昇殿料は別途必要)。

旅行に行ったときは、ガイドがあれば申し込むようにしている。音声ガイドでもいい。同じものを見ても、背景を説明してもらうことで、見え方が違ってくるからだ。今回も、宮島の歴史を教えてもらいながら回ることができた。

そして今回は、思わぬ役得があった。

この日の満潮は9時53分。島に着いたのはちょうどその時間帯で、潮位が高く、厳島神社の一部が冠水していて、通常の入口からは中に入れない状態だった。

ところがこの日は、ガイドの方が出口側から、海水に浸っていないところまで案内してくれた。おかげで、他の観光客が誰もいない社殿の中に立つことができた。

厳島神社の朱塗りの回廊
誰もいない社殿の回廊

ガイドがいなければ、「潮が引くまで待つしかないのか」で終わっていたと思う。現地ガイド、おすすめです。

潮の満ち引きで、まったく違う顔になる

もう一つ、宮島で印象に残ったのが潮の満ち引きだ。

朝は満潮で、大鳥居も社殿も海に浮かんでいた。それが時間が経つと潮が引いて、大鳥居の近くまで歩いていけるようになる。

同じ場所が、時間でこれだけ変わる。これも宮島の面白さだと思う。

満潮時の大鳥居
満潮。大鳥居も社殿も海に浮かぶ
干潮時の大鳥居
干潮。大鳥居の近くまで歩いていける
厳島神社の社殿
海の上に建つ厳島神社

平和記念公園と宮島は、まったくテーマの違う場所だ。それでも、2日間を通して同じことを考えていた。

過去・歴史の先に、今がある。

積み重なってきた時間の上に、自分たちが立っている。先日ウィーンに出張に行ったときにも似たことを感じたのだが、それを今度は家族と一緒に確かめた形になった。

宮島の鹿
鹿はどこにでも寝ている

商店街と、牡蠣小屋

そして宮島はおごそかなだけの場所でもない。

宮島の商店街は、にぎやかで、歩いているだけで旅行気分が出る。食べ歩きの店が並んでいて、人の流れがある。こういう場所は、家族で歩くのが一番楽しい。

揚げもみじ
揚げもみじ。食べ歩きの定番

そして牡蠣小屋で、牡蠣の食べ放題。

お店の方によると、牡蠣はこれからがシーズンで、一番いいのは2〜3月とのこと。今の時期はまだ冷凍のものを出していて、シーズンに入ると、冷凍ではない牡蠣に切り替わるそうだ。それでも、十分においしく、たっぷりと焼き牡蠣を堪能できた。

牡蠣小屋のグリル
牡蠣小屋。焼きながら、しゃべりながら

焼きながら、食べながら、しゃべる。その時間そのものが思い出になる体験ができる。

焼き牡蠣
この日は冷凍の牡蠣。それでも十分うまかった

娘の成長と共に、全員そろうことが、だんだん難しくなってくる

一方で、こういう現実もある。

上の娘は20歳を超え、下の娘ももうすぐ20歳。娘たちの就職など、今後のライフイベントに伴って、4人の予定を合わせること自体がますます難しくなる。

だから、行けるときに行く。1泊でも行く。今回3連休で1泊という選び方をしたのも、そのほうが実現しやすかったからだ。結果として、詰め込みすぎず、物足りなくもない、ちょうどいい旅になった。


まとめ——旅行の形は、家族の形に合わせて変わる

今回の旅を振り返って、再認識したことはこの2つだった。

  • 家族旅行のコンセプトが変わった。 「連れていく」から「一緒に体験する」へ。以前書いた「守る存在から、一緒に楽しむ存在へ」の、その先にある形だと思う
  • 共に体験する旅行の意味。 同じ時間を共有すること、そしてその場だけではなく、その後もずっと思い出を振り返り合えることが家族旅行の醍醐味

子どもが大きくなると、家族で出かける機会は減っていく。でも、減るぶん一回の密度は上がる。同じものを見て、同じ感想を言い合える相手として家族がいるというのは、ありがたく大切にしたい時間。

さて、次はどこに行こうか。そんな話を、家族でしている。


このブログ「エンジョイ人生」では、50代からのライフシフトをリアルに記録していきます。同じもやもやを持つ方のヒントになれば嬉しいです。

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